妙行寺について 妙行寺縁起 総本山 山梨県 身延山久遠寺 當山はその昔、鎌倉建長寺派の心浄寺という臨済宗の寺でありました。この寺の建立年代は不明ですが、境内にある正元二年(西暦1260年)建立の板碑等から考えますと鎌倉中期であったかと思われます。ところが、室町時代に至り、周如禅師がこの寺の住職の時、守護神金毘羅天の霊感があったと言って下総中山法華経寺より来られた日英上人によって日蓮宗に改宗されました。時に応永十五年(西暦1408年)三月十日であったということです。 以来、法華三昧堂として法風四方に鳴り、ここに六百余年市内有数の古刹ですが途中不幸にして三回も火災に遭い、また幾たびか無住のときもありましたが、そのたびに復興して法華経の法風を慕って集まる檀信徒いよいよ増加し、今日の隆盛にいたっております。 大榧と金毘羅天 今からおよそ千年の昔、後一条天皇の長元年間、鈴谷に一本の榧の木が植えられた。それからおよそ三百年ほど経った鎌倉時代になると、榧の大木の傍らに心浄寺(禅宗建長寺派)の寺が建てられ、その榧の木を神木として崇め、金毘羅天も祀られた。時は応永十五年(西暦1408年)の春、時の住僧周如禅師は法華経を信じるようになった。そしてある名月の夜深く、一心に座禅していた周如禅師の前に守護神の金毘羅天がまぼろしの如く現れ、「明日高僧来たり厚く尊信せよ」とのお告げがあった。その当時、下総中山の法宣院という日蓮宗では寺格の高い寺に、日英上人という高僧がおり周如禅師と時を同じくして「わたしは武州鈴谷郷に鎮座する金毘羅天なり。この地にようやく布教の機が熟したので上人が来て教えを広め、衆生を救え」というお告げを受けた。日英上人は感極まって、ただちに身支度を整え、はるばる鈴谷の周如禅師を訪ねてきて、お互いに霊感があったことを語り合い、法論を重ねること数日、周如禅師は日英上人の弟子となって、名も日性と改め、寺名も法華場(妙行寺)と改宗したということである。 Play Video about 大カヤ動画 文化財 ◆ 大榧(樹齢千百年)榧では日本一 国指定 ◆ 木こく(樹齢六百年)本堂裏にございます 県指定 ◆ 徳川家御朱印状七通 市指定 ◆ 鈴木荘丹の墓(江戸時代芭蕉門下の俳人) 市指定 ◆ 稲垣田龍の墓(江戸時代の天文学者) 市指定 寺宝 ◆ 宗祖日蓮大聖人御真筆(鎌倉時代) 當山御霊宝(宗宝) ◆ 久遠成院日親上人真筆(室町時代) ◆ 釈尊涅槃図(江戸時代) ◆ 木彫毘沙門天立像(江戸時代) ◆ 木彫妙見菩薩座像(江戸時代) ◆ 木彫大黒天立像(江戸時代) ◆ 木彫金毘羅天立像(江戸時代) 山務員紹介 住職 佐々木ささき 章友しょうゆう 1968年4月1日生まれ さいたま市(旧与野市)出身 昭和62年 身延山高校卒業 平成元年 日蓮宗第2期信行道場修了 平成2年 身延山短期大学卒業 平成2年 身延山久遠寺本院寮卒業 平成4年 日蓮宗大荒行堂成満 (冬季に千葉県中山法華経寺にて開催される100日間の寒修行) 平成26年 妙行寺第37代住職に就任 資格 日蓮宗教師・修法師 職歴 埼玉県日蓮宗協議員 平成29年〜現職 趣味 お寺の整備、散歩 副住職 佐々木ささき 智章ちしょう 2000年2月20日生まれ さいたま市(旧与野市)出身 平成30年 身延山高校卒業 令和3年 身延山大学卒業 令和3年 身延山久遠寺本院寮卒業 令和3年度 日蓮宗第5期信行道場修了(コロナ禍のため冬開催) 令和4年度 日蓮宗布教研修所修了 (春〜秋にかけて6ヶ月間千葉県本土寺にて布教や勉学について研鑽する機関) 資格 『日蓮宗教師・布教専修師』 職歴 埼玉県日蓮宗布教師会会計 令和5年〜現職 埼玉県日蓮宗新聞通信員 令和5年〜現職 日蓮宗布教専修会事務局員 令和5年〜現職 趣味 スポーツ観戦、テレビ鑑賞 院代 宮崎みやざき 修和しゅうわ 1968年7月19日生まれ 東京都江東区出身 大学卒業後一般企業勤務の後に日蓮宗新聞社勤務。縁があり妙行寺奉職 平成12年 第1期日蓮宗信行道場修了 資格 『日蓮宗教師』 職歴 彩の国雅友会代表 ~現職 埼玉県日蓮宗宗務所宗務担当事務長 令和5年~現職 埼玉県日蓮宗社会教化事業協会会計 趣味 スポーツ観戦、ギター